2016/05/09 仏道と武道~信じると演じる~
5月9日、練心庵に甲野善紀先生をお招きして、対談を行いました。 そのときの様子を参加者の大西龍心さんがFacebookでリポ ートしてくだいました。ご本人の許可を頂いてここに転載させていただきます。
皆様もどうぞ講座のご感想などお寄せください。
昨日の練心庵は甲野善紀先生と釈徹宗師による対談第二弾!「仏道と武道〜信じると演じる」しかもスペシャルゲストは、元ラグビー全日本選手の平尾剛さんという豪華な顔ぶれ。
会の始めに人身御供となって甲野先生の技を受けさせていただいたが、いつもながら気配のなさと技の重さを感じる。傍目には不意打ちにも見えるのかもしれないが、実際に受けてみると不意打ちというような感じではなくまさに気配のないところから突然重さが襲ってくる感じがする。しかも受けてからしばらく腕にその重さが残る。
甲野先生の喩えは「崖」であったり「ブラックホール」であったり「交通事故」であったりと、どれも奇異な感じがするのだが、それがイメージではなく感覚であるという話は非常に面白い。仏教の中でも瞑想がありそこにイメージを重ねる方法もあるのだが実はそれはイメージに留まるのではなく実感になって始めて意味を持つ。
これは言葉を持った人間であるが故の言葉と感覚の乖離を自覚的に観察する重要性であり、今回のテーマである「信じると演じる」にも深く関わってくる問題である。
その後、自分の成功体験やその時の感覚を持ち続けてはいけないという話しから「筏の喩え」に到り「四無量心」の「捨無量心」へと話は進んだ。
今回仏教と武道、特に浄土真宗についての話にはいたらなかったのだが、第三弾を楽しみしています。
※筏の喩え
橋も船もない大河を渡らなければならない時に筏を組んで渡ったとする。無事に渡りきった時にはその筏を後生大事に持ち続けていくのではなく、その筏を捨てていかなければならない。(仏の)教えもそのようなものであるという話。
※四無量心
慈無量心「慈しみ」相手の幸福を望む心。
悲無量心「憐れみ」苦しみを除いてあげたいと思う心。
喜無量心「喜び」相手の幸福を共に喜ぶ心。
捨無量心「平静」相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心
(記:大西龍心さん)